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Any Day Now

.07 2014 映画 comment(0) trackback(0)
予定というものは、狂うものである。

今日も、予定していたもの、つまり、“そのつもり”でいたことが、そうではなくなり……要は、突如として降って湧いた自由時間を手にしたのだった。
ただ何となく、家に帰ろうかと進めていた歩みが、ふと止まる―――――思い出したのだ、観たかったものがある、と。
すぐさま、文明の利器スマホを取り出し、操作。
知りたい情報が、瞬時に画面に現れる。
そして、ここは大都市、東京。
メディアに現れた代物が、簡単に手の届く距離に存在する、狂った場所。

僕は踵を返し、真逆の方向へと歩き始めた。

辿り着いた先は、新宿武蔵野館。
お目当ては、『チョコレートドーナツ』という邦題が付けられた映画だ。
チェックはしていても、なかなか劇場にまで足を運ばなくなっていた、映画というモノ――――――
しかし、今日のように、総てのタイミングが合ってしまっては、観念するしかない。
上演時間まで10分という無駄の無さなのだし…

さて、予告編も終わり、いよいよ本編、という時になって駆け込んでくるヤツらがいる。
更に、僕の隣の空席をご所望のようで、目の前を、とてもとても信じられないくらいにドン臭く、「やだぁ、くぅ~ら~い~」と云いながら横切るアホ女。
暗いのは当たり前だ、ここは映画館なのだから、それも上演中の。
更に更に、いちいちどうでもいいことを連れに耳打ちするアホ女…
「ここは茶の間じゃねぇ!」と、何度も云いたくなった。
とにかく、イライラしながら本編が始まってしまったのである。

しかし、最終的には、そのアホ女と一緒に泣いている自分が居た。
それも嗚咽を吐いて……

――――――本当に素晴らしい作品だと思った。
内容については、詳しく書きますまい。
ただ、僕は、観た後、自分の中に渦巻いてるモノをどうしてやればいいのか分らず、ザーザー降りの雨の中を、ただ宛てもなく歩いていた。
そして、今、やっとこさ家に辿り着き、独り呑んでいる。
感覚をリセット、というか麻痺させたくて……
で、まとまる筈もない想いを書き始め…やはり、まとまらず終いで、エンターキーを押すのである。
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.21 2013 映画 comment(0) trackback(0)
去年のいつ頃だったろうか、知人から勧められ、『ミスト』という映画を観た。
監督は、フランク・ダラボン――――――『ショーシャンクの空に』、『グリーンマイル』に続き、スティーヴン・キング原作のものを映画化するのは、これで3本目となるらしい。僕は、原作を読んだことはないが、どちらも素晴らしい映画だ。いつか、この二つも声溜めに入れておきたいと思う。

『ミスト』は上演当時、

≪映画史上かつてない、震撼のラスト15分≫

と銘打たれていたそうだが、まさに、看板に偽り無しだろう。原作と映画では幾つかの相違点があり、問題のラストシーンも、その一つなのだそうだ。
「自分が小説を書いた時に思いついていたら、そうしていた」
と、原作者スティーヴン・キングに言わしめたほど、(言葉が適切か判らないが敢えて)圧巻のラストだった。しかし、あまりの衝撃に、このラストシーンに関しては、賛否両論あったようだ。因みに僕は、“あっぱれ!ダラボン派”だ。
ネタバレせずに、ここから先を書き進めるのは難しいのだけれど、とりあえず、あらすじから書いてゆこうと思う。

アメリカ、メイン州西部の街を未曾有の激しい雷雨が襲った。
人々に不安な夜をもたらした嵐が過ぎ去った翌日、主人公デヴィッドとその家族は、得体の知れない不気味な“霧”が湖の向こうからこちらに向かって広がって来るのを目にする。
この霧が、これから訪れる恐怖の始まりだったのだが、この時のデヴィッド達には知る由も無かった。
スーパーまで買い出しにやって来たデイヴィッドと息子だったが、表の通りには軍の車が何台も駆け抜けてゆく物々しさ。
と、突然鳴り響くサイレン――――――
鼻血を流しながら、血相を変えた男がひとり、スーパーに駆け込んできた。
荒い息の中、男が発した言葉は、
「霧の中に何かがいる……」
戦慄が走る店内。
辺りにはたちまち“霧”が立ち込め、デヴィッドたちはスーパーの中に閉じ込められてしまったのだった――――――


実は、霧の中の何かは、早々に、とてもあっけなく正体を現す。
その瞬間、頭を過るのが、
「………あぁぁ……こっち系……?」
という、残念な想いだ。
が!
話が進むにつれ、その何か自体が重要なのではないことを思い知る。

デヴィッド達が閉じ込められたスーパー内は、まさに、人間社会の縮図。そこで繰り広げられる、所謂、人間模様の描かれ方が秀逸だ。芝居のエチュードなんかにもよくある、“密室での人間”がよく描かれている。密室で、しかも得体の知れないものに襲われる恐怖が人々を狂わせてゆく。
登場人物の一人が発する言葉で、印象的なものがある。

「部屋に二人以上いると、最後には殺し合うのが人間だ。そうならないために、政治と宗教がある」

あくまでも印象的だったのであり、僕がこう思うのではない。念の為――――――しかし、別の角度から咀嚼してみると、とてもシニカルな意味が浮上してくるのが面白い。ほんの少しのボタンの掛け違えで、政治が戦争を助長しかねないだろうし、“宗教が唱える神”というものも、人々を恐怖させる得体の知れないものとなり得るのではないか…
映画には、狂信的なひとりの女性が登場するが、惨事が起こるたびに、これは神の怒りだと唱え、初めは彼女を馬鹿にしていた人々が、やがては彼女を神の代弁者だとして縋りついてゆくようになる。そして遂には、生贄を捧げよという声のもと、殺し合いが始まってしまうのだ。殺し合わない為の宗教のはずが……

さて、この“霧”の正体だが、軍が行っていた実験の失敗により異次元との境に穴が開いてしまったことが原因で、あちら側のものが、こちら側に押し寄せてきた、という設定だ。しかし、これもラストシーン同様、原作との相違点の一つらしい。そもそも原作では、軍事技術実験の失敗ではなく、原子力発電所の偶発的な爆発事故が原因なのだそうだ………嗚呼、なんということ……

そう云えば、幾日か前、“煙霧”という言葉がテレビから聴こえてきた。空がミルクティー色に濁った、あの現象だ。そのせいだろうか、今年の花粉症はとにかく酷い。毎年お世話になっている、抗アレルギーの飲み薬が効かないほどだ。あまりに酷いので、再度病院へ駆け込み、漢方薬に点鼻薬、点眼薬を追加処方してもらったほどだ。
いやはや、この煙霧は、もはや自然現象とは云えないのではないかと思う。人間が排出した有毒な何かが、あのミルクティー色の“霧”に含まれていて、薬が効かないほどの悪影響を人体に及ぼしていると思うからだ。
軍事実験の失敗にしろ原発の事故にしろ、今や、フィクションの世界での出来事だと云って済ませることは出来ない。それでもなお、人間は都合の悪いことをに巻こうとする。散々、濃い煙霧の中に隠され続けた何かは、やがて得体の知れないものとなって、人間を脅かしにやって来るのだ。それを思い知ったはずの人間がこれからやらなければならないことは、あまりにもシンプルで明瞭だ。

もうこれ以上、有毒な霧をたちこませてはならない。

The Mist

My Own Private Idaho

.31 2012 映画 comment(3) trackback(0)
10月31日―――――
世間は、仮装で盛り上がっているだろうが、今日は、リヴァー・フェニックスの命日でもある。
彼の出演映画の総てを観たわけではないが、特に印象に残っているものを、声溜めに入れたいと思った。

『マイ・プライベート・アイダホ』である。

ガス・ヴァン・サント監督作品。
これを観たのは、遙か昔の、青い春の時代だが、リヴァーの切な過ぎる存在が、今でもしっかりと心に刻まれている。
ストリートで男娼として日々を送っているマイク(リヴァー・フェニックス)が、自分のアイデンティティーを探して旅する、ロード・ムーヴィーだ。
映画全体を通して数回画面に現れる“Have a nice day!”というお気楽なキーワードとスマイリーフェイス(ニコニコマーク)が、寄る辺無きマイクの人生に、なんとも云えぬ印象を落としてゆく。

今回は、昨日の『ショートバス』と違い、観ていない人の為に、あらすじをある程度説明しなければならない。
というのも、僕が、ロンドンで買ってきたこの映画の脚本を読んでみると、映画では描かれていないラストが存在したからだ。
それを紹介したいが為に、あらすじを頑張って書いてみようと思う。

主人公マイクは、ナルコレプシーを患っている。
所構わず、突然、強い眠気に襲われ、ぶっ倒れてしまう脳の疾患である。
男娼仲間のスコット(キアヌ・リーヴス)とは親友で、彼と二人で旅に出ることになるわけだが、スコットは、マイクと違い、良いとこのお坊ちゃん。
親への反抗心から、男娼に身を落としているだけのことだ。
マイクはスコットに心を寄せているのだが、気持ちを伝えるも成就することなく、旅は続いてゆく。
そうこうしている内に、スコットは旅先で出会った女性と恋に落ちる。
傷心のマイクに、自身の出生の秘密が明らかになることで、運命は追い打ちをかける。
なんと彼は、実の母親と兄の近親相姦によって生まれたのだった。
う~、あまりにもショック過ぎる……
更に、想い人のお坊ちゃまスコットには、彼女と親元に帰り結婚することを告げられる。
ダメージの嵐。
まだまだ神様は赦してくれず、ホームレス仲間が死んだり……
兎に角、ズタボロである。
そして、ラストシーン―――――
ちょうど、そこだけを切り取った動画がアップされていた↓
動画は、親元に帰ったスコットが、後継ぎの帰還と共にこの世を去った父親の葬儀を挙げているシーンから始まっている。
奇しくも、傍らでは、マイク達のホームレス軍団が、死んだ仲間の弔いをしているのだ。
過去に棄ててきた、かつての仲間を横目に見ているスコットは、何を思っているのか。



こんな駆け足ザックリあらすじ説明では、このラストシーンの切なさを感じるところまで、到底追いつかないだろうが、書かねばならぬ!
リヴァーの弔いの為に!!
映画では、悪い奴らに身ぐるみを剥がれ、一文無しで道に置き去りにされたマイクを、次に現れた別の誰かが、残酷にもさらって行ったのだろう…ところで終わっている。
今の僕なら、このシーンをかなり深読みするのだろうが、当時の僕は、このラストが、あまりにも救いの無いように見えた。
しかし、後に、脚本を手に入れた僕は、ラストシーンを読んで涙がちょちょ切れたのだった。
映画では、かなりの変更が施されているが、元々の脚本ではこうなっていた。



<シーン―――荒涼とした場所。一本道。アイダホ>
道を眺めている、マイク
枯草や小石が、突風に巻き上げられてゆくのを見ている
と、突然、眠気に襲われ、道端に倒れ込むマイク

マイク(声)   
僕みたいに、帰るべき故郷が無いと感じている奴はいっぱい居ると思う。故郷、つまり、ママが居てパパが居る場所さ。



マイク(声)
でも、故郷なんてどこにでも作れるもんだよ。っていうか、どこにでも見つけられる……僕の故郷は、ここ。この道端さ。前にも来たことがある。そう、前にも一度、この場所に来たことがあるってだけの話しだけどね。

一台の車が、マイクが寝ている横を通りかかる
向きを変え、マイクの横で停車する車
車から降りてきた人影が、マイクを車に乗せ、やがて走り始める

マイク(声)
神様は僕に微笑みかけてはくれず、ひどい仕打ちをするって感じる時があるんだ。かと思ったら、微笑んでくれていると感じる時もある。ちょうど、今みたいに。そう、神様は僕に微笑んでくれている、たった今―――

<シーン―――車中>
スコットが車を運転している
助手席で眠っているマイクを、ちらりと見るスコット

<シーン―――荒涼とした風景>
一本道を消えてゆく車

――――――The END

(思い込み訳 by 安 慈影良)



もう一度、書く。
こんな駆け足説明では、観ていない人にとっては、なんのこっちゃ解らんだろう。
しかし、それでいいのだ。
リヴァーへの、個人的な弔いの為なのだから。
個人的なものを、公の場へ持ち込むなと云われそうだが、いいのだ。
この映画を観た人も居るかも知れない。
その人とは、想いを共有出来るのだから。

敢えて、多くを描かなかったガス・ヴァン・サント監督に拍手。

1993年10月31日――――――リヴァー・フェニックスが、この世を去った日

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停電の闇

.30 2012 映画 comment(1) trackback(0)
大型ハリケーン“SANDY”が猛威を振るい、米国は今、大変なことになっている。
「冠水被害」やら「死者○○人」などの言葉がニュースで飛び交う。
「N.Y.で停電」というキーワードが耳に入るや、或る映画を思い出した。
不謹慎な内容にはならないと思うので、書いておこうと思う。

思い出したのは、『SHORTBUS』という映画。
ショートバスとは、身体や精神面に障害があるなどし、特別なケアが必要な子供たちを乗せる、スクールバスのこと。
『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』の作・演出・主演を務めた、ジョン・キャメロン・ミッチェルの監督作品だ。
9.11後のN.Y.で、不安と孤独を抱え暮らす人々を、彼らしい眼差しで描いている。
主人公は、中国系アメリカ人のソフィア―――カップルカウンセラーとして人々のセックスに関わる仕事をしている彼女だが、自身、オーガズムに達した経験がない……

と、ここまで書いて思った。
あらすじを詳しく書いてどうするのだと。
此処は、映画紹介の場でも評論の場でもない、ただの“声溜め”であったのだと。
では、内容を超端的に云うとすれば……「SEXの話し」となるだろうか。
実際、本編には様々なセックスシーンが満載であり、俳優たちは本当に交わっているのだ。

映画製作にあたり、先ず、“The Sex Film Project”という名目で、キャスト募集が行われ、応募者約500人の中から、出演者が選ばれた。
その時点で台本は存在しておらず、合格した俳優たちによるワークショップで行われたインプロを基に、ジョン・キャメロン・ミッチェルが脚本に立ち上げていったらしい。
途中、過激なセックスシーンを理由に、出演を辞退する俳優も何人か居たようだ。
ヘドウィグでの<音楽>のように、この映画では、<セックス>を扱いたかったのだと、監督は語っている。
結果、出来上がった作品は、決してイヤらしいものでも、ましてやポルノでもなく、観終った後、とても優しい気持ちになれるのだから不思議だ。
ジョン・キャメロン・ミッチェルの成せる技なのだろう。
ただ、本当にセックスをする必要性…という話しになると、殺人のシーンで、本当に人を殺すのかという議論になり兼ねない。
これは、また別の次元の話しなので、此処では避けたい。

何はともあれ、こうして出来上がった作品を、僕は、好きな映画のひとつとして自分の中にストックした。
しかし、日本ではモザイクを必要とする画面なので、人によっては過激であり、エグいものかも知れない。

さて、監督が、脚本の第一稿を執筆中、N.Y.で大規模な停電があったのだそうだ。
そのエピソードは、映画のラストシーンに反映されている。
この、とても印象的で美しいシーンは、僕の脳の頻繁に使う部分に貼り付いているので、今回のN.Y.停電のニュースによって、容易に甦ってしまったらしい。

停電の中、ブルックリンに在るサロン、<ショートバス>にはキャンドルが灯り、人々が集まってくる。
そこで、サロンのママ(ジャスティン・ボンド)が唄うのが、“In the End”という曲だ。
これは、僕が、マリリン・ボンノウというキャラクターでパフォーマンスする時に使わせてもらっている。



*以下の歌詞は、映画本編では一部違っている箇所があるが、作詞作曲のスコット・マシューが作詞した通りに掲載した

we all bear the scars
yes, we all feign a laugh
we all cry in the dark
get cut off before we start

and as your first act begins
you realise they're all waiting
for a fall, for a flaw, for the end

and there's a path stained with tears
could you talk to quiet my fears
could you pull me aside
just to acknowledge that i've tried

as your last breath begins
contently take it in
cause we all get it in
the end

and as your last breath begins
you find your demon's your best friend
and we all get it in
the end

人は誰でも 傷の痛みに耐えながら生きているわ
人前では 笑ってるフリをするものよ
陰では泣いているくせに
いざ人前に出ると 涙を仕舞い込んでしまうの

この世に生まれ落ちた瞬間から
みんな 失敗や自分の欠点を恐れ
そして 死を恐れているわ

涙の染みついた この道で
どうかお願い 私に話しかけて欲しいの
恐れを鎮める為に
私を ちょっと脇へ呼んで
君はよくやったよって云ってやって欲しいの

そうすれば 最期の息を引取る時
きっと 満足して人生を受け容れられるはず
だって やっぱり 死は訪れるんだもの

そして 命が終わる時
心の中に巣食った悪魔こそが
一番の友達だったと気づくはずよ
最期には そう気づくはず

(独断と偏見の意訳 by 安 慈影良)





暗闇の中に、人は何を見るのだろう……




Mein Bester Feind

.09 2012 映画 comment(1) trackback(0)
最近、時間があるので、本を読んだり、DVDのレンタルをよく利用する。
稽古が忙しいと、なかなかこういう時間を持てないので、今の状況に感謝すべき要素は大いにあるわけだ。

たった今、ある映画を観終った。
『ミケランジェロの暗号』というタイトルと、ナチスを扱った映画にも関わらず、レンタルショップが“ミステリー”というジャンルに仕分けてあるのにも惹かれ、借りたものだった。

期待は……ある意味、大外れ。

ミステリーなんぞでは、なかった。
かと云って、“ありがちなナチ、ユダヤもの”でもない。
期待外れだったのは、面白かったからだ。
どこかコミカルで、ラストは痛快。
とても気に入ってしまった。

それにしても、邦題に違和感がある。
タイトルというのは、とても大事だと、僕は思っている。
なにせ、最も端的に、その内容を表しているものなのだから。
『ミケランジェロの暗号』というタイトルからは、どうしても、『ダヴィンチ・コード』的なものを期待してしまうのだが……
原題は、こうだ―――――

“Mein Bester Feind”

英語でいうと、“My Best Enemy”、つまり、『私の最良の敵』とでも訳せばよいのだろうか。
これならば、なんの引っ掛かりもなくなる。
日本の映画協会が、どのような意図でこの邦題を選んだかは、僕なんぞが知る由も無いが、結果、好い映画だったので、邦題には釈然としないまでも、気分好く、エンドロールを見送った。

ナチやユダヤ、ホロコーストを題材にしたものは、その多くが、痛さで堪らなくなる。
しかし、少し角度を変えてみると、こんなドラマが浮かんでくるのかも知れない。

葬式中でも、可笑しい時は笑うのが人間……
だから、この映画を敢えてジャンル分けするならば、人間の滑稽さを描いた“コメディー”だと、ここで紹介しても、差支えないのではないかと思う。

Profile

yoosque

Author:yoosque
林勇輔――――役者
1974年5月16日(木)、疳の蟲を身体いっぱいに抱え、この世に生まれ出ずる。
<幼年期>
蟲たちは、勇輔の故郷、讃岐の民間療法により体外に誘き出され駆除されたかに見えたが、未だ体内に巣食っている模様。
<少年期>
好き嫌いが多く、この世で食べられるものが少なかった。
<青年期>
中途半端な生き方を謳歌する。芝居に出逢う。
<壮年期に差し掛かる、現在>
2012年1月12日(13日の金曜日イヴ)、突然、“声溜め”を公開することを決めた。

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