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Monster2

.04 2019 comment(1) trackback(0)
『パンピスの森』が幕を下ろして打ち上げて、二日酔いの鈍い頭で朝からぼんやりと色んなことを想っている。

昔、まだ僕が小さかった頃、よく言えば、自分の感情にとても素直な子だった。
自分の中にある、訳の解らないモヤモヤやイライラややるせなさを、そのとき居合わせた人に、そのまま垂れ流してしまう、どうしようもない子だった。
例えば、友達と映画を観に行ったとする。
映画が終わり、映画館を出た時に見える現実世界の風景に、まずショックを受ける。
なんて所に戻ってきてしまったんだ、という嘆きのようなものが湧き上がってくるのだ。
そんなタイミングで、友達が、「なんか食べに行く?」などと、これ以上ないほどの超現実を突きつけてこようものなら、勇輔少年の不機嫌スイッチが、マックスのボリュームで入ってしまうのである。
不機嫌が呼び水となり、怒りにまで達してしまう。
可哀想な、お友達……
もちろん、45年も失敗を繰り返しながら生きてきたので、ある程度の社会性を手に入れ、今ではそんなことはないが、本質は変わっていないと自覚している。

この二日酔いの朝、映画館から出てきて見えてしまった、戻りたくない世界を見ているような感覚に、久々に陥った。
心が掻き乱される感覚。
ハッピーなパンピスの森の裏腹な世界が、しっぺ返しのようにやってきた感じ。

しかし、終わってほしくない、とか、パンピスの森ロスで寂しいとか、そういうのではなく、稽古中からずっと感じていたモノが原因だろうと思う。
だったら、少年時代の“それ”とは別物で、つまり、この感覚は、当時の“それ”とは別物か。
なんで映画館の話しをしたのだろう…
ま、いっか、話を進めよう。

今回、林愛夏ちゃんという、伸び盛りの若い俳優と共演した。
二人だけのシーンもあったし、結構、話もした。
お芝居の話なので、かなりビターな話にもなる。
パーソナルなところまで踏み込まなければならなかったり、演劇をやるって、タフな作業だ。

まぁ、そんな稽古場だった。

劇団員時代の、後輩との関係性が思い出された。
当時、とてもしんどいと感じていた。
人と関わり、モノを言うって、責任を伴う。
だから、先輩になるってしんどいと思っていた。
ましてや芝居を介した関係だから、余計に、だ。
劇団を退団して、大変なことも多いけど、とても心が楽になったのも確かだ。
好い加減でいられたから。
でも、今回の『パンピスの森』では、人にモノを言うという面倒くさい作業を、自分の中を掻き回す作業を、稽古中、そして本番中もずっとしていたと思う。
状況的に、劇団員時代のような感覚だったのかも。
だから、感じなくていいものまで過敏に感じてしまったり…
居合わせた人たちは、突発的な訳の分からない感情に自家中毒を起こしている僕と居て、戸惑ったかもしれない。

結局、本質は変わっていない……

ぼるぼっちょには三回目の出演なので、僕のそういう性質を分かっている主宰の安倍ヤスや碓井のナオちゃんは、いい具合に放っておいてくれるからいいんだけれど、初めましての方々には、本当に申し訳ない。
なんだか、そんな、もって行き場のない感情に、今朝は苛まれたのだ。
結局は、自分に対する苛立ちとか嫌悪感とか、そんなモノだ。
つまりはやっぱり、映画館から出てきた時に自分の中に起こっていた感情も、結局は、そんな自分に対する怒りだったのだろう。

自分はなんで芝居をやっているんだろう、って時々思うけど、この、どうしようもない自分をどうにかしてやりたいんだろうと思う。
ずっとこんなだな、自分。
7年前にも、こんなことを書いていた。

Monster

『パンピスの森』は、楽しかった。
結局は、芝居に助けられているのか……全てのタイミングに感謝。

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Birthday

.16 2019 comment(0) trackback(0)
Twitterには、流さない想いを、こちらに。

5月16日は、誕生日でした。
実は、一年で、一番、孤独を感じる日。
なんだろうか、祝われれば祝われるほど、孤独を感じてしまう。
誤解があると嫌なんだけれど、祝ってくれて本当に嬉しいのです。
みんなが愛おしいし、幸福に包まれる。
だけど、嬉しさや幸福が強ければ強いほど、同時に、どうしようもない孤独感に苛まれるのです。

この感じは、なんだろうか・・・

自分の中には、まだ名前の無い感情やら感覚がひしめいていて、死ぬまでに、それらを認識してやれるのだろうか。

ト或る役者が、大晦日、憂鬱に苛まれること

.31 2015 comment(0) trackback(0)
人生綱渡り。

渡る綱すら無くなり、もうダメかと思ったその時、細い糸一本で助けられる。

「た、たすかった……」

これでもかと云う程の感謝溢れる反面、俺何やってんだと自暴自棄。

人を感動させたところでなんになる?

楽しませたところでなんになる?

媚を売らなきゃ飽きられる?

いいモノを創り続ければ……なんて綺麗事?

そんな馬鹿なと思ってみても、現実はやはり残酷だ。

ってか、いいモノを創れていないんじゃねぇの?

お前の創るモノなんて、大抵の人は求めてないんじゃねぇの?

否、いるさ、求めてくれる人。

だから、ありがとう。

でも、なんだか…

なんだかな………

とりあえず、来年は、生活の立て直しをするか。

日々、綱渡りの生活にも疲れた。

売れる物も、もう無い。

ご飯が食べられて、表現に必要なインプットも出来る生活。

それだけで、いい。

今更、お風呂のある部屋に住みたいなんて贅沢は云わない。

あ、そうそう、まだあった。

好きな人たちと一緒に過ごせるチャンスを、金欠のせいで逃さなくて済む生活。

そして、恩をくれた人達に、ちゃんと恩を返せる生活。

これ、大切。

与えて貰ってばかりで、俺何やってんだ。

来年は、役者業を暫く休んで生活苦を解消しよう。

と、腹を決めようとした矢先、ト或る役者は、来年、役者生活20周年だと気付いてしまう。

「嗚呼、俺、何やってんだ」

想ふ

.14 2015 comment(0) trackback(0)
願いや祈りと同じように、「想うこと」になんらか力があるならば、それはやはり、人間にとって必要なことなのだろう。

たとえば、待ち合わせ時間に相手が来なかったとして、携帯で連絡が取れなかった時代は、相手のことが心配で…その人のことを想った。しかし、電話を掛けるかメールを飛ばすことによって直ぐに相手と繋がる今、遅れている原因を知るまでの時間は、余りにも短い。つまり、待ち人の事を「想う時間」も短いのだ。「どうしたんだろう」「どうか何事もありませんように」とか、「無事でいて欲しい」とか。ま、携帯があっても、連絡がつかない時はあるけれど……。

小さな液晶画面中毒の僕らは、今、「想うこと」にどれだけの時間とエネルギーを使っているのだろう。病的に想い過ぎて、ストーキングしちゃうのは困るが……。
まさか、太古の人々が当たり前に持っていたであろう“霊感”というもののように、退化してゆく能力なのか!?

と、ふと想った。

飛べない鳥たちの物語

.24 2015 comment(0) trackback(0)
1968年の初演以来、再演された記憶がない、と、宇野さんから伺った。
47年もの間、やられなかった理由は色々あるのだろう。
しかし、2015年の今、様々な奇跡とともに再演が実現している。
それは、辻褄があったからだろうか。
そんな『新宿版 千一夜物語』も、あと3公演で幕を降ろそうとしている。

登場人物たちは、皆、飛べない鳥だ。
否、飛ばない鳥か―――――――

なぞなぞ たてろ
同じ鳥でも飛ばないとりはなあんだ?
それはひとり という鳥だ
  (寺山修司)

もしかしたら、さよならのジョーは唯一飛んだ人なのかも知れない、と思うのだ。

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yoosque

Author:yoosque
林勇輔――――役者
1974年5月16日(木)、疳の蟲を身体いっぱいに抱え、この世に生まれ出ずる。
<幼年期>
蟲たちは、勇輔の故郷、讃岐の民間療法により体外に誘き出され駆除されたかに見えたが、未だ体内に巣食っている模様。
<少年期>
好き嫌いが多く、この世で食べられるものが少なかった。
<青年期>
中途半端な生き方を謳歌する。芝居に出逢う。
<壮年期に差し掛かる、現在>
2012年1月12日(13日の金曜日イヴ)、突然、“声溜め”を公開することを決めた。

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