ファンタジー百科事典

.10 2013 comment(0) trackback(0)
【林勇輔の生声溜め~戯曲vol.1~】を数日後に控え、図書館に籠っていた日のこと。
僕は、“あの”戯曲のページを行ったり来たりしていた。
みんなとこれをシェアするには、どうすれば楽しいか思案していたのだ。
数時間経った時、頭がグツグツと煮詰まってきたので、初めて椅子の背もたれに身を委ねた。
お向かいで勉強に勤しんでいた学生さんは、いつの間にか帰ったらしいことに気付く。
目の前の障害物(学生さんゴメンなさい)が居なくなったことによって、視界が広がった。
その先には、大きな本棚。
座った僕の目線とちょうど同じ高さ、真正面に在る本の背表紙が、手招きしていた。

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出た、必然。
実は、その時には、戯曲編の次はファンタジー編をやりたいと、既に考えていた。
だから、こうしてこの子は僕のところへやって来たのだった。
しかし、その後色々考えあぐね、結局決まったテーマは【童話】だったのだが……
言い訳をさせて貰うと、ファンタジーをテーマにしてしまうと収拾がつかなくなるのだ。
なにせ、ほとんど総てを包括してしまうのだから。
だから、もっと具体的なテーマにすべきだと考え至った。
そこで、“あの”童話ひとつに絞った、というわけだ。
ヒントは、一昨日更新した、僕のオフィシャル・フェイスブックページのカバーヴィジュアルに隠されている。

生声溜め 映画

話の時制を戻そう。
本を手に取り、表紙を開き、目次をザッと流し読み。
この『ファンタジー百科事典』なるもの、タイトル通りファンタジーの類型やファンタジー人名録、ファンタジーの登場人物や用語集の他、映画、TV、ゲーム、雑誌に至るまでファンタジーものを掻き集めている(第一刷が2002年、第二刷が2003年だから、それ以降の作品は載っていないが……)。
大雑把に本の中ほどを開いてみる。
映画やTVのファンタジー作品に関して、百科事典と云いながらも、執筆者の皮肉まじりの解説がなかなか面白い。
例えば、1974年の映画、『星の王子さま』はこんな感じである。

『アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの死後に出版されたアレゴリー『星の王子さま』(1944)は別の惑星からやって来た少年が、擬人化された動物たちから人間の生活について学ぶという話であるが、それをミュージカル仕立てにしたこの映画はいささか幻滅ものである。ボブ・フォッシーはヘビの役をしなやかに演じ、他のキャストをかすませてしまっている』

しかし、一番面白いのは、この「まえがき」だろうか。

『別世界を作り出すという能力こそが、人間の人間たるゆえんである。動物の中にも賢いものはいるが、われわれの知るかぎりでは、だれが雷を作り出しているかについて、考えたものはいない。
原人はどこかの雨もりする洞窟で、それについて考えた。それはまさしく天上から雷電がくだったごとくであったにちがいない。いやあるいは、実際に雷電がくだったのかもしれない。突然……かれの頭の中には、天空に住む存在のことが浮かび、人が死んだ後行く場所があるにちがいない、という想いが宿った……そして突然、この世界の背後には、あらゆる色彩がより鮮やかな、もうひとつの大いなる幻影の世界があるにちがいない、とも考えたのだ。
(中略)
知性ではなく想像力が、われわれを人間にした。たとえば木の実に関しては、リスはたいそう知的だが、われわれの知るかぎり、リスが神々から木の実を盗み取った勇者の物語を語ったことはない。この能力が、すべてのフィクションと神話とを生み出したのだ。またわれわれの宗教のほとんどをも。
(中略)
突然、世界は物語と化した。ホモ・サピエンスはホモ・ナランス「物語を語る人」となり、その他のことはまさしく「彼の物語(his story)」つまり「歴史(history)」となったのだ。われわれはファンタジーの創造者だ。鮮やかな色彩にあふれた大いなる幻影の世界で長い時間を過ごし、その世界の一部が今では「文明」という名で呼ばれている。
(中略)
こうしてみると、なに恥じることのないはずのファンタジーが、いまだに批判と疑惑の雲に包まれているのは、奇妙なことではある。しかしその理由のいくつかは、本書のページの中だけでも明らかだ。たとえばまず、荒唐無稽のオンパレード。それから凝りもせぬ幾度も幾度ものお色直し。あいもかわらぬ、新たな世界と永遠の勇者たち。しかも、世界があるがままのものとは、まったく違うものになりえるかもしれないという考えは、あるがままに満足している人々をつねにおびやかす。想像力の生み出す世界は、想像力のない物語をしばしば駆逐する。支配者は、自分たちの法令が通用しない新しい世界には、猜疑の目を向ける。看守は、脱獄者を好まない。洞窟のあの男はときどき、部族の長からぶんなぐられたのではなかろうか。物語を語ることは危険なことなのだから』


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雷霆を持つ全知全能の神ゼウス(ユピテル)
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7の奇跡

.08 2013 comment(1) trackback(0)
昨日、
四谷の茶会記にて、『ものがたり~心~』再演

過去に「怪傑ゾロ目」というタイトルでも書いたのだが、ここ最近、なんだかとてもゾロ目に見舞われる。
言わずもがな、昨日は日、ゾロ目だった。

実は、面白いことが沢山起こった。

時の回、本編中――――――
とても好いタイミングで外では雷が唸りを上げ、これまたとても好いタイミングで観客席に居た赤子が声を上げた。
この赤子は、先日おぼんろで共演したジュンペイさんの愛娘である。
途中、暗くなったり大きな音が鳴ったりするし、泣いてしまうのではと心配していたが、なんのなんの!
ここぞというところでのみ声を発し、『ものがたり』に非常に好い効果をもたらしてくれたのだ。
素晴らしい!
肝が据わっている。
末恐ろしい、お子である。

“ものがたり”は、想定外の嬉しい効果音によって彩られた。

そして、そして!
終演後、或るお客様が興奮気味に教えてくれた、空に大きく掛かる虹!

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(写真提供:フォトグラファー 三浦麻旅子さん)

しかも二重!!
居合わせてくれた皆様に、“心”からの感謝を。
ありがとうございました。

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(写真提供:フォトグラファー 三浦麻旅子さん)

そして、最後に――――――
ご来場者数、77名。
そう、日に77名の方が観に来て下さったのだった。

2013

.01 2013 comment(2) trackback(0)
新しい年が明けた―――――地球滅亡と云う噂も、既に過去の笑い話となった。
信じていたわけでは決してないが、もし本当に終わってしまうのなら、ちゃんと「生きよう」と思った人は、僕だけではないはずだ。
終わりがあれば、必ず何かが始まる。
それの繰り返しで、この星は、悠久の時を過ごしてきた。
我々人間が、地球を破壊する時代は“終わった”。
だから、次は“始まる”しかない。
諦めている場合ではない。

今日、新しい年が生まれた。
生まれてきて、おめでとう。

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たまたま見つけた、斑(ぶち)の白蛇

ゴべリンドンの沼

.19 2012 comment(8) trackback(0)
それは、東西線木場駅、もしくは、有楽町線豊洲駅から、それぞれ徒歩20分の処。
“ゴべリンドン特設劇場”と名付けられた、廃工場で行われている―――――

朧(おぼんろ)と云う集団が、なにか面白いことをやっているから、観に行こうと誘われたのが、確か去年。
が、その時はタイミングが合わず行けなかった。
誘ってくれたのは、平田朝音(ひらたともね)さん。
俳優座の女優である。
彼女とは、同じタイミングでロンドンに居合わせ、同じ先生に師事していたのだから、かれこれ十数年という古い付き合いだ。
帰国後も、何本か一緒に“もの創り”をしている。
青い部屋でのヘンテコパフォーマンス、女中たち、深海のスキャンダル……
この人との出逢いも、別の章で書いたシダミナとは違うニュアンスで、僕に大打撃を与えてくれた。(シダミナについては、ここをクリック
大先輩だが、ともねぇと呼ばせてもらっている。
まぁ、そんな人である。

久々に呑もうということになり、家にお邪魔した。
ふと、テーブルに置かれた印刷物に目が留まり、何の気なしに手に取ってみる。
というのも、僕好みの雰囲気を醸している絵面だったから。
土臭さがあって、でも、ゲスじゃない。
物語が感じられる、画面―――――

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「あ、それそれ、おぼんろのチラシ。誘ったやつ」

絵を見ていただけだったが、そう云われて初めて、それが芝居のチラシだと認識し、その上に載っている文字情報を追い始めた。
驚いた―――――知り合いが2人も出ている!
事あるごとに、何故だか出逢うという、不思議な御縁の人達だ……
タイムテーブルに目を移す。
今回は、日程的にタイミングも合う。
チラシのセンスも好き。
これは、観に行けということなのだろう。

それから数日後の、昨日。
ともねぇと木場駅で待ち合わせた。

さて、やっと辿り着いたそこは、エアコンもなく、まさに廃工場。
数台の扇風機が回り、開演前には、冷たいお水と団扇を配ってくれたが、この回は、20時開演。既に日も陰っているせいか、思ったほど暑くなかった。しかし、9月も半ばだというのに、猛暑が終わらない日中の暑さを思うと、マチネ公演は、きっと……などと、想像するのは止そう………

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演技エリアは、この空間全部。
ビールケースの観客席も、勿論舞台の一部。
段ボールとボロ布で創られた空間からは、嫌な印象を受けない。
汚くないのだ。
これって大切。
いくらお金を掛けて立派なセットを組み、高い生地の衣裳を身に纏っても、好感が持てなきゃ意味が無い。
さて、肝心の内容はと云うと……好い!
好いんだよ!
目撃すべき作品だと思う。
こういう集団にありがちな、イヤな熱さが無い。
でも、熱いのだ。
語弊があるかも知れないが、敢えて云わせて貰うと、僕は体育会系のノリが好きではない。
「俺たち!仲間だよな!!」的な熱さが、得意ではないのだ。
しかし、この集団は、熱さを孕んでいるのに、どこかクール……否、クールでもないか…?
とにかく、とても好いのだ。
マスターベーションに陥っているわけでもないし、互いの傷を舐め合っているわけでもない。
ちゃんと個人が居るのだ。
演者は5人。
この集団の主宰であり役者であり、作、演出も手掛ける末原君は、いい意味で危うさと幼さを持っているのだろう。
だからこそ、下手すれば浮いてしまう危険性だってあるわけだ。
しかし、彼を取り巻く4人が、そうはさせていない。
五人五様の色がしっかりとあり、互いに負けていないのに、ハーモニーを奏でる。
正直、悔しかった。
好いものを観ると、役者という人種は、悔しさで暴れたくなる生き物だ。

負けていられない。

こんな処で、ストレスを溜め込んでいる場合じゃないではないか!
アクションを起こさなきゃである。
そもそも、ActorはActingをする人なのだ。
Actの派生語はActionではないか。
やはり、アクションを起こさなきゃである。

終演後、駅までの同じ道のりは、えらくアッという間に感じた。


朧(おぼんろ)公演『ゴべリンドンの沼』

10/7までロングランをやっている。
是非、彼等を目撃して欲しい。
彼らの想いや公演詳細は、こちらをクリック

あ~~~~~

.15 2012 comment(1) trackback(0)
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『Le TEMPS』様、ありがとう!!!

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yoosque

Author:yoosque
林勇輔――――役者
1974年5月16日(木)、疳の蟲を身体いっぱいに抱え、この世に生まれ出ずる。
<幼年期>
蟲たちは、勇輔の故郷、讃岐の民間療法により体外に誘き出され駆除されたかに見えたが、未だ体内に巣食っている模様。
<少年期>
好き嫌いが多く、この世で食べられるものが少なかった。
<青年期>
中途半端な生き方を謳歌する。芝居に出逢う。
<壮年期に差し掛かる、現在>
2012年1月12日(13日の金曜日イヴ)、突然、“声溜め”を公開することを決めた。

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