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Children see, children do

.11 2013 comment(0) trackback(0)




他人(ひと)は合わせ鏡
時に、子供は、濁りなく映す鏡

子供たちが映し出す『今』を、僕たち大人は、直視できるだろうか……




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Monster

.30 2012 comment(0) trackback(0)
イギリスに居た頃、僕は、デイヴィッドというアメリカ人の先生の処に居た。
そこは、演劇学校ではなく、彼が開いていた実験室的な処。
その名も、“David Bennett's International Actors' Laboratory”という。
折角のイギリスなのに、アメリカ人に師事していたなんて―――――変である。
でも、諸々のタイミングが、そういうことだったのだ。
週に二回のクラスの日、入口のドアを開ける僕の姿を見ると、デイヴィッドは決まってこう云って迎えてくれた。

Hello, little monster, how are you?

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たまに、“Little monster”部分が“Devil”になることもあったが、いずれにしろ、愛情を目一杯込めて、僕を化け物扱いした。

当時、デイヴィッドの実験室は、ロンドン中心部からノーザンラインで北上、Zone2に位置する町、カムデンタウンに在った。
駅から歩いて5分くらいの処に在る古い建物の、確か3階だったと思う……否、4階か…?
とにかく、老朽化のかなり進んだ建物の一室を、時間借りしていたのだ。
さすがイギリス、お化けが当たり前に出そうな処だった。
勿論、エレベーターなど無いので、おじいちゃんで太っちょのデイヴィッドは、ゼーゼー息を切らしながら、階段を昇り下りしていたのを覚えている。

或る日のクラス後、21時くらいだったろうか―――――かなりアナログなドアに鍵をかけ、裸電球が心許なく灯っているだけの薄暗い階段を、その日の参加者数名とワイワイ云いながら下りていた時のこと。
ドスンっ!という物凄い音が響いた。
デイヴィッドが階段を踏み外し、踊り場に倒れ込んだのだ。
更に、その勢いのまま壁に頭をぶつけ、嫌な鈍い音がした。
戦慄が走った。
慌てて駆け下り、様子を伺う。
話しが出来るので、どうやら意識ははっきりしているようだ。
幸いにも、生徒の一人、キャサリンが看護師をしていて、彼女が、起こしても平気だろうという判断を下した。
数人がかりで巨体を起こし、抱えるようにして階段を最後まで下りきった。
よくよく考えると、その時のデイヴィッドは、意識がはっきりしているどころか、ずっと喋り続けていた。
喋っている内容もまた、後で思い返すと、なんとも可笑しく、10年以上経った今でも笑えてしまうのだ。

「おお~勇輔!俺はもう死ぬんだ~。まぁ、死んだところで、悲しんでくれる人は居ないけど~~~」

と、さんざん嘆き続けるのである。
しかし、それは、後になっての笑い話で、あの時の僕は、もしかしたら本当に死んでしまうかも知れないとさえ思った。
これは、コメディーの基本である。
演っている役者たちが、真剣であればあるほど、可笑しいものだ。

さて、実験室の建物は、路地を入ったところに在ったので、タクシーを拾うにも、大通りまで出なければならず、更に、携帯があまり普及していなかった当時は、救急車を呼ぶにも、公衆電話まで走らなければならなかった。
とにかく、早く病院へ連れて行きたかったので、ひとりは電話を掛けに行き、その他の何人かはタクシーを拾いに行った。
僕は、その場にデイヴィッドと一緒に残り、その巨体を支えていた。
するとそこへ、なんと、珍しくタクシーが通りかかったのである。
僕は、すかさずタクシーを止め、病院に行きたい旨を伝えたのだが、憐れな瀕死の老人アピールをするデイヴィッドを見た運転手の反応は、乗車拒否だった。
既述したように、その時の僕はかなりアップセットしていたので、非情な運転手に激怒し、悔し涙を流してしまうほどだった。
そんな僕に、デイヴィッドが、

「おお~勇輔、世間なんてこんなもんだよ。死にかけの老人なんて乗せたくないんだ。みんな、厄介を抱え込みたくないんだから。おお、俺は死ぬんだ~」

と、嘆き続けた。
やがて、車を拾ってクラスメイトが帰って来た。
キャサリンが、付き添って病院に連れて行くことになり、僕らは、彼女からの連絡を待つことになった。
それから数日後、念の為に検査をしてみたが大事には至っていない、というキャサリンからの報告に、みんな胸を撫で下ろしたのだった。
更に後日談として、

「勇輔、必死にタクシーと交渉をしてくれた時の感覚を覚えておけよ」

と、デイヴィッドに云われたのを思い出す。
あんなに悲劇の主人公と化していたのに、生徒の様子を、しっかりと俯瞰で観察しているデイヴィッドは、いやはや、Big Monsterである。

さて、僕が帰国して、早や11年が経った。
どうやらデイヴィッドは、もうこの世に居ないらしいという便りが届いた。
11年前の段階で、既におじいちゃんだったのだから、亡くなっていてもおかしくはないのだが、届いた便りは、あくまで、もうこの世には居ない“らしい”である。
こんなに情報が曖昧なのは、彼らしいと思う。
上手く生きていれば、ハリウッドで左団扇の生活が出来ていたかも知れないのに。
実際、若かりし頃の彼は、二枚目の人気俳優だったそうだ。
なのに、晩年は、流れ着いたロンドンで細々と“実験室”を開いていた……
生きるのが下手な人だったと、僕は記憶している。

でも、デイヴィッドがこんなに生き下手でなければ、アメリカ人のくせに、ロンドンンで小さな実験室をやっていなければ出逢えていなかっただろう。
出逢えていなければ、Littele Monsterの僕は、いまだに自分の飼い慣らし方が分からず、冗談では済まされないMonsterになっていたかも知れない。
今でもよく自分を持て余し、取り扱い説明書が欲しいと思うほどだが……
それでも、犯罪者にもならず、なんとか一応、社会の中で生きているのだから、良しとしなければならないだろう(嗚呼、なんと、良しの基準が低いのか!)。

どうやら僕も、生きるのが下手くそである……

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Littele MonsterよりBig Monsterへ
最大限の感謝と愛を込めて……

8月9日

.09 2012 comment(1) trackback(0)
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日本は、“これ”の恐ろしさを、身を以て、“何度も”思い知っている世界で唯一の国のはず。
なのに……

1945年の今日、8月9日――――――長崎に原爆が落ちた日

The Greatest Love of All

.14 2012 comment(0) trackback(0)
She's gone for good.......


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yoosque

Author:yoosque
林勇輔――――役者
1974年5月16日(木)、疳の蟲を身体いっぱいに抱え、この世に生まれ出ずる。
<幼年期>
蟲たちは、勇輔の故郷、讃岐の民間療法により体外に誘き出され駆除されたかに見えたが、未だ体内に巣食っている模様。
<少年期>
好き嫌いが多く、この世で食べられるものが少なかった。
<青年期>
中途半端な生き方を謳歌する。芝居に出逢う。
<壮年期に差し掛かる、現在>
2012年1月12日(13日の金曜日イヴ)、突然、“声溜め”を公開することを決めた。

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