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My Own Private Idaho

.31 2012 映画 comment(3) trackback(0)
10月31日―――――
世間は、仮装で盛り上がっているだろうが、今日は、リヴァー・フェニックスの命日でもある。
彼の出演映画の総てを観たわけではないが、特に印象に残っているものを、声溜めに入れたいと思った。

『マイ・プライベート・アイダホ』である。

ガス・ヴァン・サント監督作品。
これを観たのは、遙か昔の、青い春の時代だが、リヴァーの切な過ぎる存在が、今でもしっかりと心に刻まれている。
ストリートで男娼として日々を送っているマイク(リヴァー・フェニックス)が、自分のアイデンティティーを探して旅する、ロード・ムーヴィーだ。
映画全体を通して数回画面に現れる“Have a nice day!”というお気楽なキーワードとスマイリーフェイス(ニコニコマーク)が、寄る辺無きマイクの人生に、なんとも云えぬ印象を落としてゆく。

今回は、昨日の『ショートバス』と違い、観ていない人の為に、あらすじをある程度説明しなければならない。
というのも、僕が、ロンドンで買ってきたこの映画の脚本を読んでみると、映画では描かれていないラストが存在したからだ。
それを紹介したいが為に、あらすじを頑張って書いてみようと思う。

主人公マイクは、ナルコレプシーを患っている。
所構わず、突然、強い眠気に襲われ、ぶっ倒れてしまう脳の疾患である。
男娼仲間のスコット(キアヌ・リーヴス)とは親友で、彼と二人で旅に出ることになるわけだが、スコットは、マイクと違い、良いとこのお坊ちゃん。
親への反抗心から、男娼に身を落としているだけのことだ。
マイクはスコットに心を寄せているのだが、気持ちを伝えるも成就することなく、旅は続いてゆく。
そうこうしている内に、スコットは旅先で出会った女性と恋に落ちる。
傷心のマイクに、自身の出生の秘密が明らかになることで、運命は追い打ちをかける。
なんと彼は、実の母親と兄の近親相姦によって生まれたのだった。
う~、あまりにもショック過ぎる……
更に、想い人のお坊ちゃまスコットには、彼女と親元に帰り結婚することを告げられる。
ダメージの嵐。
まだまだ神様は赦してくれず、ホームレス仲間が死んだり……
兎に角、ズタボロである。
そして、ラストシーン―――――
ちょうど、そこだけを切り取った動画がアップされていた↓
動画は、親元に帰ったスコットが、後継ぎの帰還と共にこの世を去った父親の葬儀を挙げているシーンから始まっている。
奇しくも、傍らでは、マイク達のホームレス軍団が、死んだ仲間の弔いをしているのだ。
過去に棄ててきた、かつての仲間を横目に見ているスコットは、何を思っているのか。



こんな駆け足ザックリあらすじ説明では、このラストシーンの切なさを感じるところまで、到底追いつかないだろうが、書かねばならぬ!
リヴァーの弔いの為に!!
映画では、悪い奴らに身ぐるみを剥がれ、一文無しで道に置き去りにされたマイクを、次に現れた別の誰かが、残酷にもさらって行ったのだろう…ところで終わっている。
今の僕なら、このシーンをかなり深読みするのだろうが、当時の僕は、このラストが、あまりにも救いの無いように見えた。
しかし、後に、脚本を手に入れた僕は、ラストシーンを読んで涙がちょちょ切れたのだった。
映画では、かなりの変更が施されているが、元々の脚本ではこうなっていた。



<シーン―――荒涼とした場所。一本道。アイダホ>
道を眺めている、マイク
枯草や小石が、突風に巻き上げられてゆくのを見ている
と、突然、眠気に襲われ、道端に倒れ込むマイク

マイク(声)   
僕みたいに、帰るべき故郷が無いと感じている奴はいっぱい居ると思う。故郷、つまり、ママが居てパパが居る場所さ。



マイク(声)
でも、故郷なんてどこにでも作れるもんだよ。っていうか、どこにでも見つけられる……僕の故郷は、ここ。この道端さ。前にも来たことがある。そう、前にも一度、この場所に来たことがあるってだけの話しだけどね。

一台の車が、マイクが寝ている横を通りかかる
向きを変え、マイクの横で停車する車
車から降りてきた人影が、マイクを車に乗せ、やがて走り始める

マイク(声)
神様は僕に微笑みかけてはくれず、ひどい仕打ちをするって感じる時があるんだ。かと思ったら、微笑んでくれていると感じる時もある。ちょうど、今みたいに。そう、神様は僕に微笑んでくれている、たった今―――

<シーン―――車中>
スコットが車を運転している
助手席で眠っているマイクを、ちらりと見るスコット

<シーン―――荒涼とした風景>
一本道を消えてゆく車

――――――The END

(思い込み訳 by 安 慈影良)



もう一度、書く。
こんな駆け足説明では、観ていない人にとっては、なんのこっちゃ解らんだろう。
しかし、それでいいのだ。
リヴァーへの、個人的な弔いの為なのだから。
個人的なものを、公の場へ持ち込むなと云われそうだが、いいのだ。
この映画を観た人も居るかも知れない。
その人とは、想いを共有出来るのだから。

敢えて、多くを描かなかったガス・ヴァン・サント監督に拍手。

1993年10月31日――――――リヴァー・フェニックスが、この世を去った日

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停電の闇

.30 2012 映画 comment(1) trackback(0)
大型ハリケーン“SANDY”が猛威を振るい、米国は今、大変なことになっている。
「冠水被害」やら「死者○○人」などの言葉がニュースで飛び交う。
「N.Y.で停電」というキーワードが耳に入るや、或る映画を思い出した。
不謹慎な内容にはならないと思うので、書いておこうと思う。

思い出したのは、『SHORTBUS』という映画。
ショートバスとは、身体や精神面に障害があるなどし、特別なケアが必要な子供たちを乗せる、スクールバスのこと。
『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』の作・演出・主演を務めた、ジョン・キャメロン・ミッチェルの監督作品だ。
9.11後のN.Y.で、不安と孤独を抱え暮らす人々を、彼らしい眼差しで描いている。
主人公は、中国系アメリカ人のソフィア―――カップルカウンセラーとして人々のセックスに関わる仕事をしている彼女だが、自身、オーガズムに達した経験がない……

と、ここまで書いて思った。
あらすじを詳しく書いてどうするのだと。
此処は、映画紹介の場でも評論の場でもない、ただの“声溜め”であったのだと。
では、内容を超端的に云うとすれば……「SEXの話し」となるだろうか。
実際、本編には様々なセックスシーンが満載であり、俳優たちは本当に交わっているのだ。

映画製作にあたり、先ず、“The Sex Film Project”という名目で、キャスト募集が行われ、応募者約500人の中から、出演者が選ばれた。
その時点で台本は存在しておらず、合格した俳優たちによるワークショップで行われたインプロを基に、ジョン・キャメロン・ミッチェルが脚本に立ち上げていったらしい。
途中、過激なセックスシーンを理由に、出演を辞退する俳優も何人か居たようだ。
ヘドウィグでの<音楽>のように、この映画では、<セックス>を扱いたかったのだと、監督は語っている。
結果、出来上がった作品は、決してイヤらしいものでも、ましてやポルノでもなく、観終った後、とても優しい気持ちになれるのだから不思議だ。
ジョン・キャメロン・ミッチェルの成せる技なのだろう。
ただ、本当にセックスをする必要性…という話しになると、殺人のシーンで、本当に人を殺すのかという議論になり兼ねない。
これは、また別の次元の話しなので、此処では避けたい。

何はともあれ、こうして出来上がった作品を、僕は、好きな映画のひとつとして自分の中にストックした。
しかし、日本ではモザイクを必要とする画面なので、人によっては過激であり、エグいものかも知れない。

さて、監督が、脚本の第一稿を執筆中、N.Y.で大規模な停電があったのだそうだ。
そのエピソードは、映画のラストシーンに反映されている。
この、とても印象的で美しいシーンは、僕の脳の頻繁に使う部分に貼り付いているので、今回のN.Y.停電のニュースによって、容易に甦ってしまったらしい。

停電の中、ブルックリンに在るサロン、<ショートバス>にはキャンドルが灯り、人々が集まってくる。
そこで、サロンのママ(ジャスティン・ボンド)が唄うのが、“In the End”という曲だ。
これは、僕が、マリリン・ボンノウというキャラクターでパフォーマンスする時に使わせてもらっている。



*以下の歌詞は、映画本編では一部違っている箇所があるが、作詞作曲のスコット・マシューが作詞した通りに掲載した

we all bear the scars
yes, we all feign a laugh
we all cry in the dark
get cut off before we start

and as your first act begins
you realise they're all waiting
for a fall, for a flaw, for the end

and there's a path stained with tears
could you talk to quiet my fears
could you pull me aside
just to acknowledge that i've tried

as your last breath begins
contently take it in
cause we all get it in
the end

and as your last breath begins
you find your demon's your best friend
and we all get it in
the end

人は誰でも 傷の痛みに耐えながら生きているわ
人前では 笑ってるフリをするものよ
陰では泣いているくせに
いざ人前に出ると 涙を仕舞い込んでしまうの

この世に生まれ落ちた瞬間から
みんな 失敗や自分の欠点を恐れ
そして 死を恐れているわ

涙の染みついた この道で
どうかお願い 私に話しかけて欲しいの
恐れを鎮める為に
私を ちょっと脇へ呼んで
君はよくやったよって云ってやって欲しいの

そうすれば 最期の息を引取る時
きっと 満足して人生を受け容れられるはず
だって やっぱり 死は訪れるんだもの

そして 命が終わる時
心の中に巣食った悪魔こそが
一番の友達だったと気づくはずよ
最期には そう気づくはず

(独断と偏見の意訳 by 安 慈影良)





暗闇の中に、人は何を見るのだろう……




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役目を終えて

.28 2012 ちょっとしたこと comment(3) trackback(0)
先日、劇団の本公演『PHANTOM』が千穐楽を迎えた。
この公演については、ファンの皆様に向けて、なんらかの発言をしなければならないことを、とても感じている。
戴くお手紙、メッセージから、読み取れるからだ。

公演中は、公での発言を一切控えさせてもらった。
無言の意志表示、とでも云おうか…
集団にとっては、厄介者であったろう。
それと、やはり、僕はあまり賢くないので、公演中に何らかの発言をしてしまうと、とんだ失言がこぼれかねない、というのも理由だった。
残念なことに、僕とは、そいう性質の人間である。
冷と熱の温度調整が、かなり難しいのだ。
それによって、振り回されてしまったファンの皆様には、申し訳ないことをしたと思う。
しかし、嘘をつかない為にも必要なことだった。

この公演のキャスティングが発表された日の数日後、【徒然なる自分の為の覚書】として、この場に声を溜めた。
何故なら、やはり、その必要を感じたからである。
勿論、求められる役どころと、自分が演りたいと願う役どころにズレがあることなど、とっくに承知である。
ただ、今回の役に関しては、何も物申さずいることの方が、違和感を感じたのだ。
その時も、嘘の無い、書ける事だけを公表させて頂いた。
そう―――書けることを、嘘無く。
さもなくば、芋づる式に、総てを書かねばならなくなってくる。
更に、矛先が誰かに、または、具体的な何かに向かってしまうことにもなり兼ねない。
それは、僕の本意ではない。
故に、かなり濃縮還元な、偏った内容になったと思う。

それにしても、そこへ寄せられた皆様からのメッセージは、本当に有難かった。
表現をした先には、観客が居なければ成り立たない。
皆様が想像力を働かせて、または、ご自身の人生と重ねながら、僕の発したものに触れてくれていることに、逆に感動を頂いているくらいだ。

しかし、前述のように、総てを語れたわけではないので、読み手には、尋常ではない想像力を要求してしまったかも知れない。
想像は、時として、妄想になり得る。
どうか、皆様、その妄想に捕らわれないで欲しい。
僕は、いたって前向きに(勿論、心乱れるのはしばしばだが)、“今”に、そして“自分”に向き合っている。
ただ、己を掘り下げてゆくと、決して綺麗ではない泥の山が出来る。
しかし、その中に、砂金が混ざっているのを見て欲しいと思う。
僕自身、それを探す為、見たくもない汚泥を掻き回しているのだろうと思う。
総てを語ることなど、やはり、難しい。
その代わり、僕が表現という形で皆様の前に現れる時、その破片たちを感じて頂けるのではないかと思っている。

―――役目は終わった。
今はただ、沢山のきっかけを僕にくれた、『PHANTOM』という作品、そして、エリックへの感謝が溢れてくるのだ。
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二匹の狼

.22 2012 言葉 comment(0) trackback(0)
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或るチェロキー族の老人が、孫に云いました。
「息子よ、我々の中では、いつも二匹の狼が闘っているのだよ。

一匹は、悪い狼さ―――――それは怒りであり、妬み、強欲、恨み、劣等感、嘘やエゴですらある。
もう一匹は、良い狼だ―――――それは、歓び、平安、愛、希望、謙虚さ、優しさ、同情心や真実の狼さ」

少年は、少し考えてから尋ねました。
「おじいちゃん、どっちの狼が勝つの?」

老人は静かに、こう答えました。
「お前が餌を与えた方だよ」


―――作者不明


訳 by 安 慈影良
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蚊よ…

.18 2012 ちょっとしたこと comment(1) trackback(0)
蚊よ
もう、10月も半ばぞ!
だのに、何故、まだ消えぬ?

細長い足を、不気味にだらりと垂らし飛び散らかす、蚊よ
目で追っても、一瞬で視界から消え失せる、蚊よ
お前は、吸血という背徳の行為により、命を繋ぎ、
時に、病原菌の拡散に手を貸す、悪魔
嫌われ、疎まれ、叩き潰され……
だのに、何故、存在する?

お前に、存在理由はあるのか?

「嫌われる為」という、存在理由が存在するのなら、
お前は、蠅やゴキブリ達と共に、その一端を担っているのか?
なんということだ!
そんな存在理由など、在ってたまるか!!

お前のことは好きではないが、
助け舟を出してやるよ
だって、嫌われる為の存在など、悲し過ぎるじゃないか

ということで、お前の背徳の道具である、その細長い口が、
医療器具の開発に役立っているという話しを聞いたことがある俺は、
それを糸口に、キーワード検索をしてみた

お前ごときの為にぞ、蚊よ!!

そして、俺と同じ理由で、同じことをしている人が居た
なんたる偶然
この方は、お前ごときの為に貴重な時間を費やし、しっかり調べてあるぞ
なので、俺は逐一調べずに済んだということだ
他人のノートを丸写し的な罪悪感も無くもないが、リンクしてみた(こんなことしていいのか…)
蚊よ、クリックしてみるがいい↓

【蚊と針と存在理由】




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自信と謙遜

.06 2012 言葉 comment(1) trackback(0)
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ご冥福をお祈りいたします。
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てふてふ

.02 2012 ちょっとしたこと comment(1) trackback(0)
心地の好い、昼下がり―――――
家のドアを出て、大通りへと続く路地を歩いていると、いつもと違う気配を感じた。
違和感である。
そんな、尋常ならぬ空気を醸していた犯人、それは……

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地べたに、しかもマンホールの淵に佇む、てふてふが一羽―――――
と思いきや、羽を広げて停まっているということは、蛾か?
てふてふと蛾の違いは、停まっている時、羽を広げているか否かだと聞いたことがある。
蛾なら、昼間、地べたなり歩道橋の階段脇なり、低い処に停まっているのを、よく見かける。
夜になると、街灯や部屋の明かり目掛けて、突進してくるのだ。
てふてふは、昼間羽ばたき、夜は眠る。
蛾とは習性が違う、似て非なるもの。
しかし、こいつはどう見ても、てふてふだ。
触覚の形態も、胴体の太さも、羽の模様も、蛾のそれとは違う。
水たまりに、てふてふが憩う姿を見ることはあるが、此処は、水たまりどころか、渇き切ったマンホールだ。
うーむ……面白い。
この不思議な光景をカメラで切り取った僕は、そんなことを思いながら、そのまま、大通りへと歩を進めた。
十数メートル進んだ頃、ふと立ち止まってしまった。

もしかしたら
あのてふてふは
なんらかのダメージを負ってしまい
羽を閉じる元気も無く
危険な地べたに
あんな無防備な姿を晒してしまっているのかも知れない……

今来た数十メートルを引き返した僕は、再び、てふてふの前に屈み込んだ。
「お前、どうしたんだよ?」
てふてふの顔を覗き込むと、6本の足をゴソゴソと動かし、体の向きを変える。
空に居るはずのものが、地で蠢く不気味さに見入ってしまう。
このままだと、車が通ったら、すぐさまプレスされ、蟻の餌食となるだろう。
まぁ、それもこいつの運命かも知れない。
蟻だって、生きていかなきゃならない。
自然の食物連鎖を、人間が狂わせるのはどうなの?と、多少の罪悪感を感じつつ、手を延ばしてしまった。
てふてふは、なんの抵抗を見せるわけでもなく、易々と僕に捕らえられてしまった。

やっぱり弱っているのか……

辺りを見回してみる。
葉が茂る木が目に留まった。
子供の頃の僕は、ランニングシャツに短パン、虫取り網と籠という典型的なスタイルで、一日の大半を外で過ごしていた。
だから、てふてふが悦びそうな処くらい、見つけてやれるのだ。
あの手の葉には、よく揚羽蝶の幼虫や蛹を見たものだ。
此処なら、充分、休息が出来るだろう。
ゴソゴソと忙しなく蠢く6本の足に、一枚の葉を充てがってやった。
その途端、てふてふは、何事も無く、元気に飛び立った―――――

ところで、ギリシャ神話に、エロスに愛される美しい少女が出てくる。
彼女は、しばしば、てふてふの姿で描かれる。
名前を、プシュケという。
プシュケとは、魂や心、精神を意味する(“Psyche”英語読みすると、サイケ。サイケデリックのサイケである。サイコ・ホラーなんかのサイコ“Psycho”は、これの派生語)。
てふてふが、幻想的に舞う姿が、太古の人々には魂とリンクして見えたのだろうか。

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プシュケは、その美しさゆえ、美の女神でありエロスの母であるアフロディテの自尊心を損ねてしまい、ひどくいじめられるのだ。
何故エロスに愛されたかは、エロスがおっちょこちょいだったからなのだが、詳しい話は、割愛。
とにかく、大神ゼウスの助けもあり、最後には幸福を得るのだ。
つまり、魂(プシュケ)が愛(エロス)を得たわけだ。
めでたし、めでたし。

これに構想を得て、『こころ』という物語を書き、パフォーマンスしたことがある(*初演は、2010年9月、於:青い部屋)。
林版プシュケは、美しい少女ではなく、≪シルク・ド・ソレユケ≫という旅回り一座を率いる、怪しい男なのだが……

いつかまた、『こころ』を舞台に上げたいなと、羽ばたくてふてふを見送りながら思った午后であった。
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yoosque

Author:yoosque
林勇輔――――役者
1974年5月16日(木)、疳の蟲を身体いっぱいに抱え、この世に生まれ出ずる。
<幼年期>
蟲たちは、勇輔の故郷、讃岐の民間療法により体外に誘き出され駆除されたかに見えたが、未だ体内に巣食っている模様。
<少年期>
好き嫌いが多く、この世で食べられるものが少なかった。
<青年期>
中途半端な生き方を謳歌する。芝居に出逢う。
<壮年期に差し掛かる、現在>
2012年1月12日(13日の金曜日イヴ)、突然、“声溜め”を公開することを決めた。

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