恐れながら、深夜に告知

.31 2013 お知らせ comment(0) trackback(0)
思い立ったが吉日――――――昔の人が云った言葉を信じたはいいけれど、いざ動き始めると、やはり一日24時間では足りないことに、改めて気が付く。

それはさておき、お待たせいたしました。
決定した内容をお届けいたします。

一眠りしてから、もう少し何かを書き足すやも知れませんが…今回は、“イベント”とカテゴライズしておいた方がいいのだと思います、きっと。

『ANGELA in the room』

◆日時◆
2013年4月22日(月)
<1st>
17:30 Open
18:30 Start
19:30 End
<2nd>
20:00 Open
20:45 Start
21:45 End
*完全入替え制

◆出演◆
ANGELA
MIEDA(Piano)

◆場所◆
カールモール
新宿区新宿1-34-13 貝塚ビル1F(旧新宿厚生年金会館前のビル)
Tel : 03-3352-9808
http://karlmohl.net/index.html

◆料金◆
¥3,000-(1ドリンク付)
*ドリンクの追加注文とお食事は、キャッシュオンでお求めいただけます

◆ご予約方法◆
下記メールにて、3月31日(日)9:00から4月8日(月)21:00まで受付いたします。
以下の必要事項をご明記の上、ご予約下さい。

・氏名
・ふりがな
・メールアドレス
・ご希望時間(1stまたは2nd)
・ご希望枚数

xxx.yoosque.xxx@gmail.com

*応募者多数の場合は、抽選とさせて頂きます
*上記アドレスより、4月12日(金)までに、必ず全員に当落のご連絡をいたしますので、ドメイン解除をお願いいたします。

アンジェラからのお願い
ねぇ、みんなのお家の片隅に、永い間使われず、埃を被っているキャンドルはないかしら?キャンドルスタンドが必要ない自立タイプのものだといいわね。例えば、ティーライトキャンドルとか……もしあったら、一つ持って来て欲しいの。どうするのかって?決まってるでしょ、暗闇の中に明かりを灯すのよ。

ANGELA in the room A
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恐れながら、緊急告知

.28 2013 お知らせ comment(0) trackback(0)
4月22日(月)に、何かを企てようと思い立ちました。

突然すぎると云われようが、決めました。

素敵な“場所”と出逢い、

其処に自分が居る姿が見えてしまったので、決めました。

平日だけれど、諸々のタイミングがこうだったから、こうなりました。


現時点で浮かんだキーワードは――――――Angela in the room

――――――悪くない

おそらく、タイトルはこれに決定しそうです。

詳細は、近々にご報告。
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.21 2013 映画 comment(0) trackback(0)
去年のいつ頃だったろうか、知人から勧められ、『ミスト』という映画を観た。
監督は、フランク・ダラボン――――――『ショーシャンクの空に』、『グリーンマイル』に続き、スティーヴン・キング原作のものを映画化するのは、これで3本目となるらしい。僕は、原作を読んだことはないが、どちらも素晴らしい映画だ。いつか、この二つも声溜めに入れておきたいと思う。

『ミスト』は上演当時、

≪映画史上かつてない、震撼のラスト15分≫

と銘打たれていたそうだが、まさに、看板に偽り無しだろう。原作と映画では幾つかの相違点があり、問題のラストシーンも、その一つなのだそうだ。
「自分が小説を書いた時に思いついていたら、そうしていた」
と、原作者スティーヴン・キングに言わしめたほど、(言葉が適切か判らないが敢えて)圧巻のラストだった。しかし、あまりの衝撃に、このラストシーンに関しては、賛否両論あったようだ。因みに僕は、“あっぱれ!ダラボン派”だ。
ネタバレせずに、ここから先を書き進めるのは難しいのだけれど、とりあえず、あらすじから書いてゆこうと思う。

アメリカ、メイン州西部の街を未曾有の激しい雷雨が襲った。
人々に不安な夜をもたらした嵐が過ぎ去った翌日、主人公デヴィッドとその家族は、得体の知れない不気味な“霧”が湖の向こうからこちらに向かって広がって来るのを目にする。
この霧が、これから訪れる恐怖の始まりだったのだが、この時のデヴィッド達には知る由も無かった。
スーパーまで買い出しにやって来たデイヴィッドと息子だったが、表の通りには軍の車が何台も駆け抜けてゆく物々しさ。
と、突然鳴り響くサイレン――――――
鼻血を流しながら、血相を変えた男がひとり、スーパーに駆け込んできた。
荒い息の中、男が発した言葉は、
「霧の中に何かがいる……」
戦慄が走る店内。
辺りにはたちまち“霧”が立ち込め、デヴィッドたちはスーパーの中に閉じ込められてしまったのだった――――――


実は、霧の中の何かは、早々に、とてもあっけなく正体を現す。
その瞬間、頭を過るのが、
「………あぁぁ……こっち系……?」
という、残念な想いだ。
が!
話が進むにつれ、その何か自体が重要なのではないことを思い知る。

デヴィッド達が閉じ込められたスーパー内は、まさに、人間社会の縮図。そこで繰り広げられる、所謂、人間模様の描かれ方が秀逸だ。芝居のエチュードなんかにもよくある、“密室での人間”がよく描かれている。密室で、しかも得体の知れないものに襲われる恐怖が人々を狂わせてゆく。
登場人物の一人が発する言葉で、印象的なものがある。

「部屋に二人以上いると、最後には殺し合うのが人間だ。そうならないために、政治と宗教がある」

あくまでも印象的だったのであり、僕がこう思うのではない。念の為――――――しかし、別の角度から咀嚼してみると、とてもシニカルな意味が浮上してくるのが面白い。ほんの少しのボタンの掛け違えで、政治が戦争を助長しかねないだろうし、“宗教が唱える神”というものも、人々を恐怖させる得体の知れないものとなり得るのではないか…
映画には、狂信的なひとりの女性が登場するが、惨事が起こるたびに、これは神の怒りだと唱え、初めは彼女を馬鹿にしていた人々が、やがては彼女を神の代弁者だとして縋りついてゆくようになる。そして遂には、生贄を捧げよという声のもと、殺し合いが始まってしまうのだ。殺し合わない為の宗教のはずが……

さて、この“霧”の正体だが、軍が行っていた実験の失敗により異次元との境に穴が開いてしまったことが原因で、あちら側のものが、こちら側に押し寄せてきた、という設定だ。しかし、これもラストシーン同様、原作との相違点の一つらしい。そもそも原作では、軍事技術実験の失敗ではなく、原子力発電所の偶発的な爆発事故が原因なのだそうだ………嗚呼、なんということ……

そう云えば、幾日か前、“煙霧”という言葉がテレビから聴こえてきた。空がミルクティー色に濁った、あの現象だ。そのせいだろうか、今年の花粉症はとにかく酷い。毎年お世話になっている、抗アレルギーの飲み薬が効かないほどだ。あまりに酷いので、再度病院へ駆け込み、漢方薬に点鼻薬、点眼薬を追加処方してもらったほどだ。
いやはや、この煙霧は、もはや自然現象とは云えないのではないかと思う。人間が排出した有毒な何かが、あのミルクティー色の“霧”に含まれていて、薬が効かないほどの悪影響を人体に及ぼしていると思うからだ。
軍事実験の失敗にしろ原発の事故にしろ、今や、フィクションの世界での出来事だと云って済ませることは出来ない。それでもなお、人間は都合の悪いことをに巻こうとする。散々、濃い煙霧の中に隠され続けた何かは、やがて得体の知れないものとなって、人間を脅かしにやって来るのだ。それを思い知ったはずの人間がこれからやらなければならないことは、あまりにもシンプルで明瞭だ。

もうこれ以上、有毒な霧をたちこませてはならない。

The Mist

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.11 2013 comment(0) trackback(0)
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ものがたり

.05 2013 comment(1) trackback(0)
去る3月3日、『Le Tempsで琉譚~ものがたり~』――――――幕
やはり、自分が演りたいのは、“ものがたり”なのだと、改めて思った。
その“ものがたり”とは……


数年前――――――
謎多き魅惑の人物、厩戸皇子をもっと知りたくて、と或る本を読んでいた時のこと。
ストンと音を立てて、何かが腑に落ちていったのを感じた。

本によると、“もの”とは、“もののけ”や“憑きもの”とも云うように、“邪”や“鬼”の類をさす言葉なのだそうだ。
しかも、古代日本では、“鬼”と“神”は、同一のものだったらしい。
神に通じる力、“神通力”を持つものを、“もの”と呼んでいたのだと。
名前を見ても分るように、≪物部(“もの”のべ)の一族≫は、鬼の一族ということになる。
更に、鬼を滅ぼすことが出来るのは、同じ力を持つ、鬼でしかない。
つまりは、物部氏を滅ぼした蘇我氏もまた、“鬼の一族”ということになる。
中でも、厩戸皇子はひときわ神通力が強かった人物なのだろう。
何故なら、像なり画なりに遺されているその姿は、しばしば童の姿をしているから。
純粋無垢な童とは、神通力を持つものの象徴だったようだ。
そう云えば、子供の頃は、当たり前のように“何か”と通じていたような気がする。
鬼退治で有名な桃太郎も、童として描かれている。
そう――――――鬼を退治できた正義の味方、桃太郎もまた“鬼”なのだ。

では、桃太郎を善、鬼を悪としたのは一体誰なのか?

これは、全く、屈折した僕の意見だが、強者の都合ではないだろうか、と思う。
人が二人以上集まると、それはもう立派な社会だ。
社会をうまくまとめるには、ルールが必要だ。
善と悪をきっちり分けてしまった方が、統制が取りやすい。
しかし、どうしても「割り切れなさ」を感じてしまう。
割り切れないじゃないかと感じてしまい、更に、表現してしまったが最後、マイノリティとしての人生が始まる。
こんなことを書いてしまっている僕は、間違いなくマイノリティだろう。

この“もの”の考え方は、古代の日本的感覚なのかというと、そうでもないらしい。
古代ギリシャの神々は、嫉妬深く淫乱、愛憎入り乱れてとてもドラマチックだ。
そして、アプラクサスと呼ばれる神――――――
ヘルマン・ヘッセの『デミアン』でこの名前を知り、“もの”の時と同じようにストンという音が鳴った。
2012年末に、SARAVAH東京で演らせてもらった『Noir et Blanc~黒の私と白の僕~』では、この神の名前を使わせてもらったくらいだ。
アプラクサスとは、こう説明されている――――――

「われわれは古代のあの宗派や神秘的な団体の考えを、合理主義の観点の立場から見て素朴に見えるように、それほど素朴に考えてはならない。古代は、われわれの意味での科学というものはぜんぜん知らなかった。そのかわり、非常に高く発達した哲学的神秘的真理が研究されていた。その一部から魔術と遊戯とが生じ、しばしば詐欺や犯罪になりさえした。しかし魔術でも高貴な素性と深い思想を持っていた。さっき例にひいたアプラクサスの教えもそうであった。人々はこの名をギリシャの呪文と結びつけて呼び、今日なお野蛮な民族が持っているような魔術師の悪魔の名だと思っている。われわれはこの名をたとえば、神的なものと悪魔的なものとを結合する象徴的な使命を持つ、一つの神性の名と考えることができる」
(中略)
「神的なものと悪魔的なものを結合する」。そのことばがあとまで私の耳に残った。そこに話がむすびついていた。それはデミアンとの交わりの最後のころの対話以来親しんできたことだった。そのときデミアンは、われわれはあがめる神をもってはいるが、その神は、かってに引き離された世界の半分(すなわち公認の「明るい」世界)にすぎない、人は世界全体をあがめることができなければならない、すなわち、悪魔をも兼ねる神を持つか、神の礼拝と並んで悪魔の礼拝をもはじめるかしなければならない、と言った。――――――さてアプラクサスは、神でも悪魔でもある神であった。
(新潮文庫、ヘルマン・ヘッセ『デミアン』、高橋健二/訳、より引用)


古代の人々が、神と呼んでいた“もの”は、光と影、生と死、愛と憎悪―――――あらゆる陰と陽を併せ持った“ひとつのもの”なのだったのではないか…

宇宙そのもの、というか……

その宇宙に生きている人間は、自分の中に、他人の中に、決して“割り切れないもの”を見ているのではないかと……

だから、人を語るものを“ものがたり”と呼ぶのではないかと………


――――――そして、僕はやはり、“ものがたり”を演りたいのだと、自覚し直すのだ。
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yoosque

Author:yoosque
林勇輔――――役者
1974年5月16日(木)、疳の蟲を身体いっぱいに抱え、この世に生まれ出ずる。
<幼年期>
蟲たちは、勇輔の故郷、讃岐の民間療法により体外に誘き出され駆除されたかに見えたが、未だ体内に巣食っている模様。
<少年期>
好き嫌いが多く、この世で食べられるものが少なかった。
<青年期>
中途半端な生き方を謳歌する。芝居に出逢う。
<壮年期に差し掛かる、現在>
2012年1月12日(13日の金曜日イヴ)、突然、“声溜め”を公開することを決めた。

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