上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
或る日の稽古後のこと。
「当たり前のように虐げられる身分の者たちの、怒りがさ……」と、僕が云いかけた。
すると、演出という役割を担っていた、本業は女優、が云った。
「いや、怒(いか)ることさえ許されない者たち、だよ」と。
なるほど、表現することすら許されない身分…か。
…………
とりあえず、身分の話は置いておいて――――――
怒(いか)りをまったく抱えず、人は生きているものだろうか…?
誰でも、奥底を掻き回してみると、沈殿物が表面に浮かび上がってくるはずだ。
その中には、怒(いか)り、妬み、嫉み、憎しみ、悲しみ、苦しみなどの汚泥がドロドロと在る。
それらと混ざり合って、砂金も光っているだろう。
しかし、どこを切っても黄金しか出てこない人など居るのだろうか。
今、人々は怒(いか)っている。
少なくとも、僕の周りの表現者達は、皆、怒(いか)っている。
自国のリーダーに対して。
力に対して。
表現者たちは、それぞれの方法で、怒(いか)りを表現する。
しかし、怒(いか)りを表現することすら許されない時代が来るかも知れない、という怒(いか)りは何処へ向かうのか。
怒(いか)ることさえ許されない者たちが向かう先は……
などと、やはり怒(いか)っている者たちで『女中たち』という作品と向かい合ったのだった。
『女中たち』を、今、演ることは、そんな想いにまで連鎖してしまうのだった。

『女中たち』 作:ジャン・ジュネ
2015年3月24日(火)~29日(日)
於:絵空箱
- 関連記事
-
スポンサーサイト